当たり前の事ですが
今回、初めての経験でした。
義妹達は葬祭業者、寺院、介護ベッドレンタル業者など
自分の代わりに電話をしてくれました。
自治会長宅へ自分が出向いている間に
いつの間にかパートナーは仏間に敷かれた布団に寝ていました。
どうやらみんなで移動したようでした。
気がつくと枕元には祭壇ができていました。
枕経をしていないのでお線香はあげることはできず
大きな綿棒みたいなものを水に浸して
唇をそっとぬぐう事しかできませんでした。
運悪く寺院の住職が福井県へと行っており
枕経を行えるのはお通夜がある日の午前中になりました。
義妹たちがどんどん話を進めていきますが
やはり喪主である自分の了解を求めてきます。
日程などを決めていったのですが、
どうやって決めていったのかぼんやりとしか覚えていません。
知らせを受けた人たちが弔問にやってきます。
そのたびに挨拶をして家に上がってもらい
パートナーの顔を見てもらいます。
打ち合わせ→弔問客の相手→打ち合わせ→弔問客の相手・・・
頭が空っぽになってしまった状態で
とりあえず何か行動をしている・・・という状態でした。
午後になり、打ち合わせが始まりましたが
とうとう涙が出てきました。
「休んだ方がいいよ」と言われ
二階へ行って横になりましたが、眠れる訳がなく・・・。
少しだけ休んで階下へ降り
再び打ち合わせや弔問客の相手をやっていました。
夕方になるとたくさんの人たちが弔問に訪れました。
ほとんどの方が病気の事を知らず
突然の死に驚き、病気の事を知って更に驚いていました。
19時ぐらいになると弔問客が途絶え
パートナーが寝ている部屋で一人膝を抱えて座りました。
やっと二人きりになれました。
1時間ぐらい、じっと座っていましたが
みんなは気を使ってくれたのか、
誰一人声をかける人はいませんでした。
喪主としてしっかりしないといけないのは頭では分かっていました。
でも、無理でした。
悲しみがじわじわと押し寄せてきて
押しつぶされそうでした。
覚悟はしていたとはいえ
自分もかなりのショックを受けていました。
R君やSちゃんもショックを受けていたはずなのに
何もフォローできずにいました。
自分の事で精一杯だったのです。
それなのに、R君は食事の準備をしてくれました。
夜、Sちゃんの「一人にしないで」と言って
お風呂の中で泣き出した時に
子供たちも相当参っている事に気づきました。
情けない喪主でした・・・。